西條辰義・宮田晃碩・松葉類編(2021)『フューチャ・デザインと哲学-世代を超えた対話』勁草書房.

第2章「自分自身のため」とは何か?

「「将来世代を利することに喜びを覚える」という「将来可能性」の仮説については、次のように考えることができるだろう。

もしこれをあたかも人間という種に定まった本質であるかのように考え、それを自らや他者に押し付けるならば、私たちは自分自身のあり方を自ら決定するという可能性を(中略)手放すことになりかねない。だがそれに対して、(中略)将来世代の人々が「自分自身のため」を追求しうるということが、私たち自身にとっても「自分自身のため」を追求するための条件である。そこで「喜び」と感じられるのは、「何が私たちのためなのか」ということを、間接的にであれ過去世代や将来世代と渡り合い、そのような対話を自らのために望みうるということの喜びなのである」

 

第6章 将来世代への責任

「将来世代がたとえ生物として存在していても、責任の主体として、言い換えるなら人間として存在できない事態は、あくまでも回避されなければならない。」

「私たちは常に、人間とは何か、人間に相応しい生き方は何か、を了解しながら生きている。しかしそうした人間像は時代とともに変わっていく。(中略)将来世代への責任とは、そうした将来世代の他者性を尊重すること、将来世代が私たちとは別の、私たちにとっては未知な、新しい人間像を生きることの尊重と、軌を同じくしていなければならないのである。」

 

第7章 対話篇 住む時代の異なる人たちの間の関係とはどのようなものか、どうすれば上手くやっていけるか

「先行世代が後続世代に対して負う責務について、先行世代自身の間で持つ共通の理解があって、その理解を通じ、先行世代が後続世代に負う責務が成立する。」

「人類が滅亡すると知った瞬間から、ぼくたちはこれら一時的な慾求充足以外のことに価値を見出すことができなくなる。人類の滅亡が自分の死後のことで、自分が直接経験しないとしてもそうなのだ。こうして、各世代は人類という船を自分の死後であっても転覆させないという共通の利害を持つようになる。」

 

第8章 将来世代への同感

「理性と感情を明確に区別した上で、理性が感情を制御する側面だけでなく、適切な方向で鼓舞する側面にも目を向けるべきだろう。この二つの側面をともに視野に入れるのが、道徳的補完主義である。」

 

第9章 将来世代と対話の倫理

「フューチャー・デザインの目的は(中略)将来世代かのように対話することで、「自分自身に関する私たちの関心という現実主義」から離れることでこそ、思考は「自分を超えた」別様の思考へと誘われるのである。」

「むしろ人間性とは、他者たちを前にして、もしかしたら別の可能性があるかもしれないと立ち止まり、既存の秩序を自由に作り替えることにあるのではないか。」

 

第11章 人は本当に対話したいのか、どうすれば対話したいと思うのか

「対話のために共同性を拡大するには、たとえ利害や関心が自分と一致していなくても、潜在的な対話相手として尊重を示したいし、寛大でありたいという衝動がなければならない。」

「しかし、感情教育は「気づき」が起こるようにとの期待に基づいているので、共同性への衝動が実際に育まれるかはわからないし、いつ実を結ぶかもわからない。」

「共感の及ばない他者への想像を働かせ続けるために、事実や知識を積み上げることが必要であると同時に、他者との結びつきを得たいという欲望を育てる試み(感情教育)が必要である。そして、議論以前のインフォーマルな会話を通じて、対立する思想同士の関係ではなく、個人と個人としての関係を築くことで、実質的な対話を行う足場が形作られる。」

「どんな道のりも、遠回りから始めねばならないのだ。」